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ざっと読んだ。

先日、「科学する麻雀」を購入した。

最近になって、麻雀の事も扱うブログを始めたので、良い機会だと思って読んでみる事にしたのである。タイトルや著者の「とつげき東北」という名前なんかはしばしば耳にしていたが、内容を実際に読んだ事はなかった。奥付を見ると、初版は2004年と書いてある。興味はあったが、手に取るまで結構な時間が経ってしまったようだ。

現状、本当に「ざっと」読んだ程度なので、ここの考察が云々…といった事はまだ書けない。今回の記事は、気になった所をいくつかピックアップして行く形にしよう。

■まえがき~序章
私は「友人たちの講釈」~「役に立たない戦術書」辺りの記述に心底同意した。麻雀の初心者にとっての問題は、明確に頼れる道標と言うものがあまりにも少ない、もしくは低品質なものでしかないという現状だと言える。頻繁にルールが変わるようなテレビゲーム(対戦モノにおいて、流行っているソフトが変わるなど)と違い、ルール自体が固定されて何年も変化しない麻雀において、この状況は異常である。

私は以前の記事で書いた通り、初心者を麻雀に誘う動機の何割かは「カモ」の獲得であったりするので、こういった現状は改善されにくいのかもしれないな、と思っている。この辺が、将棋や囲碁のように「ギャンブル」のイメージを上手く取り除く事に成功したゲームと、いまだ「ギャンブル」でくくられている麻雀との立場の違いであったりもするのだろうか。

<注>
私は将棋、囲碁、チェス、オセロ…等の状況についてはほとんど分からない。もしかしたら巷では将棋で勝負する時にお金を賭ける行為が一般的であるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。ここで書いているのは、それぞれのゲームに対する、私の持っているイメージである。

■「流れ」は存在するか
この辺りのテーマは、一般的な戦術書ではあまり踏み込まれる事が無い領域であろう。「ある」前提で話を進行させる事が多いからだ。かと言って、誰かとこの話題について議論する事も難しい。掲示板でのやりとりのくだりのように、明確な定義がそもそも存在しない(か、人によって定義が異なる)事柄であるからだ。

私は「流れ」なんてものは無いと思っているし、よく麻雀漫画である、「会心の親リーチを1000点で蹴ってやった、しばらくはあいつの流れは来ないだろう」みたいなものはあくまでフィクションだと捉えた上で楽しんでいる方である。そもそも全自動卓で麻雀を打つ時に、次の曲で使用する牌山はいつ積まれたものか…という事を考えても、この手の描写は結構アヤシイと感じるのが自然だろうに。

ただ、やはり麻雀漫画ではこの辺を「ある」事にしないと逆転の理由やドラマが作れないかもしれない。「フィクションの中でなら、私は常に流れ論者です」…とすると猪狩完至の入場シーンっぽく…ならないかな。まあその辺りはつつく方が野暮であろう。

戦術書の多くは「麻雀プロ」と呼ばれる人達が書いている。私は「麻雀プロ」がどういう立ち位置なのかよく分からないが、彼らが単純に勝つ事だけでなく、楽しませることも含めて戦術書を書いているのであるとするならば、その中で「流れが存在する」として話を進めていても自然な事なのかもしれない。

記事を書く前には、軽い読書感想文みたいなものにしようと考えていたが、実際に書き終えてみると全く違うコースに飛んで行ったような気がする。結局、軸が無く書きたい事をただ書くだけになってしまった。うーん。

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加賀棒茶

Author:加賀棒茶
緑茶や烏龍茶を飲みつつ麻雀やゲームに勤しむ筆者のブログ。

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動画見たよ!という方、ブログでも動画内でも構いませんので、コメント欄等に感想など頂けたら嬉しいです。

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